当舎の掟

▼いし・かわら・つぶて舎の掟(ルール)▼


いし・かわら・つぶて舎は組織ではないということです。

 一応は、いし・かわら・つぶて舎という名を名乗り、事務局も代表も置かれているわけで、組織である側面も持っています。
しかし、飽くまで、いし・かわら・つぶて舎の理念は、一人一人がどう山谷や山谷労働者との関係を創り、どういう生き方を確保していくかにあります。
いし・かわら・つぶて舎という組織として山谷の炊き出しを行っているのではなく、いし・かわら・つぶて舎を縁として炊き出しの現場に集い、参加者の一人一人がどう山谷との関係を創り、自分の生き方を創っていくかということ以外に、いし・かわら・つぶて舎存続の理由はあり得ないのです。
また、出来上がっている自分の思想・信条を実現・宣伝するための参加はお断りしたい。飽くまで山谷を自分自身の学びの場としていただきたい。

従って、の理念が壊れる時、もはや、いし・かわら・つぶて舎の存在意義は無くなることになります。

 勿論、いし・かわら・つぶて舎という名は私の、また私たちの占有する名ではありませんから、他の人々がその名を使おうが自由なこととなりますが、それは、私たちのいし・かわら・つぶて舎とは全く異なるものと言ってもよろしいかと思います。
かつて梶大介さんが行っていたいし・かわら・つぶて舎と、現在のいし・かわら・つぶて舎が、同じ山谷の炊き出しを行っていながら、全くその理念を異にすることに似ています。
一般的に、組織・団体の形態をもつものがしっかりしていることの条件は、そこに主体的な個人が存在しているからでありましょう。主体的個人が死滅してしまった組織や団体は、民衆にとって、もはや足を引っ張る以外の何者でもありません。そしてそこには新たなる主体を生み出す必然性も偶然性も、全く無いと言っても過言ではありますまい。

いし・かわら・つぶて舎に参加・協力する如何なる個人も、①・②を踏まえていただきたく、お願いいたします。